EquipeAsada JAPAN レースレポート

世界選手権ロードレースレースレポート

今日のレースレポートを載せます。

 

 

 

 

レース名: 2016 ROAD WORLD CHAMPIONSHIPS Road Race

カテゴリー:MEN Junior

距離:135.5km

天候:晴れ

コース:15.2×8km

ホイール:前後 Bontregar Aeolus 5 d3

ギア比:52×14

結果:60位TOP+1”45

 

2年連続での出場になった世界選手権ジュニアロードレース。去年は落車で全く勝負に絡めなかったが今年こそはと1年間かけて準備してきた。

 

コースはITTと同じ周回コース。1周15.2㎞を9周回で行われた。

 

今回のレースでは中盤以降の動きにポイントを絞って動くこと、決まらない場合は沢田選手のスプリント。これが日本チームのオーダーだった。

 

レースは現地時刻13:15にスタート。

スタート直後から全開でもがいていた為に自分はポジションを落としながらのスタートではあったが中盤以降のために温存した。

ロータリーのたびに集団が伸び縮みし、落車が多発。非常に走りにくくどこで落車してもおかしくない状態で、落車でストップするもののすぐに集団に合流。これを繰り返した。

レースは速い状態で2周回を完了した。

 

3周回を消化し自分のいる位置が集団の中盤から後方の位置。ボトルを取りたく渡してもらうが失敗し、これは無理だと判断。集団のペースが落ち着いたところでバイクまで下がり補給した。

落車でストップが続いた沢田選手は集団に戻れなかった。

 

ボトルを満タンにし前へ上がったタイミングでレースが動いていた。前に数名逃げていることが確認でき、そして追走がパラパラと出ているところで1瞬だけ自分が行くチャンスがあった。しかし躊躇してしまいその1瞬のチャンスを生かすことはできなかった。

その後の折り返しでアメリカのMUCNULTYやデンマーク、ドイツ、フランス、スロベニアと強豪国、有力選手がしっかりと入っていた。これを見た時には後悔しかなかった。

その後はどこが追走しているのかを考えレースを進めるがドイツが積極的に集団を牽引。正直意味が分からなかった。タイム差は50秒ほどをキープするものの。その後フランスやイタリアも集団を牽引。その後蠣崎、自分も牽引するもののまとまってコントロールするチームがおらずインターバルがかかる集団だった。

 

最終周回に入る段階でタイム差は50秒。脚を溜めて最終周回に入った。

集団スプリントになることを予想しまとまって上がる。集団の動きが激しくその位置をキープすることが難しかった。

ペースが落ち着いたところでカザフスタンの選手が単独でアタック。反応できる位置にいたがさすがに最終周回に2人ではリスクが大きいと判断しこれを見送った。

ラスト3㎞ほどで1度前に上がるが下がってしまう。集団内がかなり激しくなり居場所を探しながら最終コーナーを抜ける。

残り500mほどで大きな落車があり足止めされそこからもがいてゴール。+1‘45差の60位でレースを終えた。

 

レースを振り返るとなぜあそこで躊躇してしまったのかと悔やみきれない。

もう少し早く上がれていれば展開が変わっていたしあそこに賭ければ前に残っていたかもしれなかった。

しかし集団もタイム差がそこまで開かなかったために次の動きと割り切ってしまった。

なかなか難しい判断だったがあそこは本能のままに行くべきだった。

そしてもう1つのポイントが追走の仕方にあった。

チーム1人で集団を牽引しても何にもならないが最低でも2人でまとまって集団を牽引することによって同じ意思を持ったチームを前で集め集団をコントロールできた。というところだ。

ドイツが集団を牽引していたのは前に1人しかいなかった為で彼はスプリンター。そしてフランス、イタリアが牽引したのも1人しかいない為だった。強豪3カ国に混ざり追走すれば前を捕まえることが出来た可能性があった。ここはまだまだチームとして、選手として頭が足りていなかった。

 

このレースのために1年間準備してやってきたが結果は惨敗。

しかし得られるものが多かったレースだったとも感じた。世界との差は歴然だがポイントを絞って動くことが出来ていたためにチャンスを見つけることはできた。これがチャンスだと感じたのはフランスでの経験がかなり生きているからだとも感じた。

今回の結果をしっかりと受けとめ、残りの国内レースを走り、U23へ向けた準備も行っていきたい。

来年もこの舞台で戦えるように。

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