2015年高校生チャンピオンの渡邉歩です。
日本全国の高校生の頂点に立った男です。(小並感)
ロードバイクアカデミーにてお馴染みの大前選手のブログが話題ですね。
https://kakeru-omae.site/going-europe1
この話題は誰もが気になるところかもしれません。
そんな中で実際に高校卒業後からヨーロッパへ渡った側の意見も気になりませんか?
今だから言える話も交えて振り返っていきますよ!
楽しかった。
はい。小学生の日記です。
流石にこれだけでは終われないのでちょっと昔の話から振り返ります。
エキップアサダを懇願した小学5年生時代
いきなり高校の話でもいいんですけど自転車ロードレースに足を踏み入れたのは小学5年生頃。
その頃にEQADSというチームが発足し、トライアウトを行なっているという記事を父が見つけトライアウトへ。
結果は不合格。この後、何度も何度も受けることに。
ちなみにこのチームを選んだ理由は
梅丹本舗という日本人最強チームの育成チームだったから。
最強=最高峰
だったから。
2012年EQADS入団
3.11。東日本大震災を地元福島で経験した2011年。見えないものとの戦い(今と似ている)があり東松山でのトレーニングキャンプに呼んでもらうとメキメキと走れるようになり、その次の年からEQADSへ入団することとなる。
選択肢が増えたインターハイ優勝
この頃にはジュニアのナショナルチームに所属していたものの高校生の大会では結果は無かったのが現実。
しかしながら最初で最後のインターハイロードレースを制する。
ぶっちゃけ今となっては過去の栄光です。
重要なことはここから。この成績のおかげで
大学進学、国内コンチネンタルチーム、渡仏。
切れるカードが3枚になりました。
その年のお盆は各方面の大人と電話のやりとり。本当にたくさん電話させていただきました。
そこで出した答えは
今しかできないことをやる。
その思いでフランスへ行くことを決断しました。
後からでも大学には行けるかもしれないが、フランスで生活することはここを逃したら人生でそう起こるイベントではない。
そしていちばん言われてきた言葉。
プロへ上がる=ヨーロッパで走り成績を残す。
これが全てだと教えられてきたので正直これが全てでした。
ざっくりとした振り返りはここまで。